VoiceOfUTokyo 東大の声

民主左翼同盟(DLUT)中央執行委員会が発行する革命的・進歩的学生の機関誌

入学おめでとう!新入生の生活応援特集 その1

 東京大学への入学が決定した親愛なる読者の皆様にお祝いを申し上げたい。入学前後のシーズンというのは実は結構慌ただしい。否、これから先、夏休みになるまでずっと慌ただしいとさえ言っていいかもしれない。そんな新生活に期待し、あるいは心配し(尚そのどちらも大抵それほど当てはまらないのだが)

  というわけで新入生の生活を応援すべく以下書いていきたい。

 

・生活の流れ

 先述の通り、大学入学が決まってからの生活のスケジュールはかなり慌ただしい。以下に夏休みまでの生活の流れを述べる。

時期

学事暦

学生生活関連

備考

3月10日

一般合格発表

   

数日以内

入学手続書類郵送

 

例年3月15日頃が期日。

3月29日(理科生)・30日(文科生)

諸手続き

テント列・上クラ顔合わせ

入学に際しての手続きと、学内公共諸団体関連の説明・手続き(諸団体会費一括納入は事前に振込用紙が郵送されているので基本的にそれに従って手続きする)、サークル等の新歓がある。配布物多数。

3月31日(理)・4月1日(文)

学部ガイダンス

サークルオリエンテーション・クラス集合写真撮影

 

4月1日~2日(理)・2日~3日(文・インタークラス)

 

オリ合宿

 

4月5日

授業開始

   

4月12日

入学式

   

5月19日・20日

 

五月祭

 

5月31日・6月1日

S1ターム試験

 

1年理科生は数理科学基礎(必修)の試験

7月17日~30日

S2ターム・Sセメスター試験

   

・生活の概要

 その前に…

・そもそも「学生」って何?

 生活に役に立つ情報を求めてこのような怪しげなページをわざわざ開いていただいたにも関わらず、それらについて述べる前に、少々の説教(?)を垂れることを許していただきたい。

 高校まで、私たちは生徒と呼ばれてきた。小学校では児童だった。そしてこれからは学生になる。児童は、「身体・精神ともにまだ十分に発達していない者。普通、小学校に在学する者をさすが、児童福祉法では一八歳未満の者をいう。」(大辞林第3版、三省堂)、生徒は、「①学校や塾などで教えを受ける者。 ②  小学校の児童や大学の学生に対し、中学校・高等学校で教育を受ける者。」(出典同)というのが辞書的定義である。いずれも学校に所属する者を表す語であるが、何が違うのか。ここでは「学生」の学校所属関係の、「児童」「生徒」との違いを考察したい。

 まず児童という語は、「児童労働」「児童福祉法」の語に見られるように、保護の対象という意味を含意していると言える。すなわち、自分の力で生きることができないので、児童特有の脅威から守られながら生存を保障される存在ということである。生徒という語は、中学高校に限らず、「ピアノ教室の生徒」「塾の生徒」というように、教えを受ける(一方の)者ということである。すなわち、我々がすることは、基本的には師から教えられたことを(ある種師弟関係的に)受動的に身につけることであった。とはいえ、学校においては、一定の管理のもとで生徒会活動などが存在していたことだろう。これは、一定の自由の制限を受けるとはいえ、ある程度の範囲までは、自らのことを自分たちの責任で決定し、自分たちの手でやるということである。これは、社会において自己決定する市民となるための訓練であるとも見ることができよう。実際、世の中には中学卒業後から働き始める人がいるわけで、そのような人は中学卒業段階で社会の一員となる。高校において生徒の自主活動の制限が緩和された側面があるだろうが、中学卒業がそのような社会的意味を有するということは学校当局などもよく言っていたのではないか。

 では、「学生」とは何か。主体的に学問を行う者である。すなわち、学校で学ぶが、保護を受けず、また、師弟関係に規定されない者である。確かに、自らの選択に応じて一定の必修科目が設置されたりと、完全に高校までの学習と性格が異なるわけではない。しかし、自分が学びたいものを学ぶという性格になる。研究する存在でもある。自らで考え、自分で学問を行っていくというあり方になるのだ。すなわち、学問の主体となる。この意味において、大学の一構成員として他の構成員と対等の立場で、師弟の権威関係なく、自らの責任で学問的真理を探求するのだ。そもそも科学とは、権威とは無関係になされるべきものだ。権威とされた学者、学説が無謬であるなどということはなく、たとえ主流となっている学説であっても、また高名な学者も信じている学説であっても、疑い、時に反証することにより科学は発展してきたのだ。もちろん、学生というのは、学術的レベルではまだ教育される必要があるものの、十分に大学の一主体である。

 そして、社会的にも自立した存在である。現在の日本における大学進学率は50%程度(文科省『学校基本調査』、http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2017/12/22/1388639_2.pdf)であるが、高卒で就職する人の割合が2割程度(文科省、同ソース)はいるのであり、しかも現在は、高校を卒業すれば選挙権を有するようになる(選挙権は一つのメルクマールとしてあげたが、我々は選挙権獲得が政治の全てとは考えていない。脱線御免。)。2018年3月現在契約などに保護者の同意が必要であることを除けば(今後撤廃の可能性あり。また世界の大多数の国では18歳が成年年齢である)普通の市民である。同年代の勤労者と違うことは、賃労働に従事しているか、学費を納め勉強しているかの違いである。つまり、保護=管理を受けず、主体的に自己決定するべき存在である。尚、「べき」という言葉遣いにご注意いただきたい。要するに現在の社会においてはそのようなあり方が脅かされている、あるいはさらに進んで自由が剥奪されていると我々は考えている。そのような事例は我々が普段から記事にしたりツイートないしリツイートしている。

 次のように言う人もいるだろう。すなわち大学生といっても「年端もいかない未成年」なのだから、「自己責任論で片付けず」大学当局や家庭による保護がされるべきではないか、と。これは実際に我ら同盟のTwitterにかつて寄せられた批判を要約したものである。なるほど、確かに学生に対する脅威というものは存在する。変質者、宗教などのセクト、ブラックバイト等の悪質な搾取等々。実際、我々も、主体たる学生として、学生が抱える学生特有の問題は共同で解決しようとの観点から、これら学生に対する脅威への注意喚起はしていく方針であるし、現にメディア資本による生産手段としての学生利用についてはTwitterで注意喚起を行った。

 だが、第一にここでいう保護とは何かをまず議論したい。例えば先ほどの例であれば、メディアの脅威についての、「あなたを守れるのはあなただけです。」との同盟のツイートに対して「自己責任論で片付ける前に大学が保護するべき」と反論してきたものだった。まず、我々は大学における主体とは、学生・教員・職員と位置付けているが、この批判における「大学」による「保護」とは大学当局による保護=管理を意味すると思われる。パターナリズム論者は、大学当局が、学生のメディア資本による生産手段としての利用を防ぐレベルで学生を管理しろと言っているのだ。技術的にそのような管理はまずそもそも現実に不可能であることは考えればすぐわかるはずだ。リードに犬を繋ぐがごとく管理するような能力などないではないか。自由意思がある限り、最後は学生自身が脅威に対して判断を下すしかない。それとも、自由意思を禁止ないしは制限すべきだとでもいうのか?

 自由意思を制限するような形での大学当局による学生の管理というものに正当性がないということを再反論の第二に挙げる。なぜなら、大学当局が正当な(やむを得ない)理由なくそのようなことをする権限などないからである。これについてはまたあとでも述べる。

 第三に18歳にもなった人間に対して保護=管理を受けなければならないほど「年端もいかない」とすることは妥当でない。18歳が社会的に大人であることは既に述べた通りだ。最終的には自己決定する存在であるし、脅威に危害を加えられ、あるいは人生を破壊されることはありえるが、それは一般の大人とて、脅威の種類が違うにせよ同じだ。そうなるのを防ぐのも義務教育の役割の一つであるはずだし、被害にあった人を救済するのは、大人の場合同様、集団化された人間の力(まわりの人、役所など)である。各種の詐欺がわかりやすい例だが、ブラック企業による特に悪質性の高い搾取に見舞われているではないか。大人ですら脅威に晒されているというのに、脅威に晒されているから自由を制限して管理すべきとの言説がまかり通るのであれば、いったいいつまで人間は自由を制限され続けなければならないのだ?ナンセンス!ところで、注意して欲しいのだが、現在の社会は大人の正当な自由でさえ、脅かされている。人間が労働から疎外され、企業にも、パターナリズム的な目が向けられて、企業が理不尽なクレームに屈し現場の労働者への抑圧を増やしていることなどが良い例である。

 本論に戻ろう。学生の自由や、主体性はいかに発揮しうるのかという点は当然疑問だろう。それは、やってはいけないこと以外全てである。やってはいけないことというものの定義は難しいが、大学当局がするなと言ったことではない。大学当局の言うことを無批判に正しいというのは権威主義的な見方である。我々はそれを先程否定した。大学当局が不当なことや間違ったことをいうことはあるのだ。結局は良心に規定されるのではないか。

 もちろん自由には責任が伴う(これは定義に基づく)。故に、個々人の自由意思に基づく行動がもたらす結果は当該の個々人が最終的に直面する。我々は好き勝手になんでもして良いわけではない。

 また、他の大学構成員との間で何らかの予期せぬ係争を生じることもありうるが、これはいかに解決しうるか。これは、当事者である全ての構成員全てが合意するような方法を探るということだろう。これは妥協せよということではなく、むしろ正しい解決のために徹底的に闘うということもありうる。

 さて、結論を述べよう。学生は、自己決定権を有する主体たる大学構成員なのだ。ちょっと早く大学に入学しただけなのに何を偉そうにと思うかもしれないが、これは我々の大学生活、そして大学での運動の経験からどうしても(新入生のみならず全ての人に向けて)述べておきたかった主張である。ここまでブラウザバックしないでくれた全ての人に感謝する。

 では、お待ちかね、学生生活について述べていこう。

 

・各種の大学当局公式な手続き

 入試当日に配布された書類に従って、入学手続きを行ったことと思われる。すると、教養学部と書かれた諸手続き書類の封筒が郵送されてくるはずだ。その中には様々なものが同封されている。

 まず、学部当局公式に手続きを求められている書類があるのでそれを所定の期限までに用意しよう。諸手続きは理科生は3月29日、文科生は30日に実施される。もし事情により出席できない場合は、事前に書類に書かれている連絡先に相談するのが良いだろう。

 それ以外にも健康診断など様々な書類が入っている。見落とさないように中身を全て確認しよう。

・その他の手続き等

 封筒には、諸団体会費一括納入、運動会費納入の書類が入っているだろう。それらは任意であるから、納入すべきかどうかは個々人が判断することである。それらの費用の使途については恐らく説明が同封されていると思われるので、それらを読んだ上で判断することになる。それらは、基本的に入学から前期課程修了または卒業までの会費全てを含んでいる。団体によってはWebサイトを利用して詳細な説明を実施しているところもある。また、どの団体も原則として、その団体によるサービスの利用等に関して、納入を条件としていることがある。それについても説明が記載されているだろうから確認されたい。

 尚、インターネット上では「諸団体会費一括納入の延納届けを出して逃げ切れば納入せずにサービス利用等ができるので納入はしなくて良い」という記述があるかもしれないが、それは昔の話であり、オリエンテーション委員会(以下「OC」という。)は、制度の公平性のために近年その対策を実施しているため、延納届けによって納入せずに制限なくサービスを利用することは基本的にできないだろう。

 諸団体会費納入は、2017年度から運動会が離脱し、別枠実施となった。

 諸団体会費一括納入を拒否する場合は、オリ合宿(後述)に参加できない。

 また、諸団体会費一括納入制度については、学費免除等経済的事情のある人については、全額返金されることになっている。

 また、生協(東京大学消費生活協同組合)の加入手続き・東大新聞の購読手続きもだいたいこのくらいの時期にある。生協は加入することにより、非加入者よりも安く購買部・食堂を利用できる。東京大学新聞は、学内の重大ニュースなどを取り扱うメディアである。購読すれば週1で配達される。

・諸手続き

 理科生は3月29日、文科生は3月30日に行われる。行うこととしては、事前に提出を求められた書類の提出と、書類の受け取りである。この日(学部当局公式に)配布される書類は、極めて重要なものが多い。授業の講義資料が配布される場合もある。学部当局公式の事前配布書類において、説明が掲載されていたエリアまでが学部当局公式のエリアである。これ以外にも配布物は色々あるので、まずはこれらの資料が紛れないように、あらかじめちゃんとしたカバンを用意しておこう。

 その後、運動会費納入の確認、諸団体会費一括納入の確認、生協の加入、東大新聞購読などがある。いずれも任意のものであるが、上クラ顔合わせ(後述)やオリ合宿(後述)参加のためには諸団体会費納入が条件となっている。

 諸団体会費を納入した場合は、学生自治団体(学生自治会、学友会、学生会館委員会、駒場祭委員会、五月祭常任委員会)のブースを通った後(ここでも各団体の紹介資料が渡される)、上クラ顔合わせがある。

 上クラ顔合わせというのは、クラスの2年生(基本的に)と顔合わせするというものである。ここでオリ合宿(後述)についての説明を受けるなどする。

 その後、テント列がある。ここまででもすでに様々配布物があるため、またテント列でもビラをいっぱい渡されるので入れる袋があると安心である。テント列は、ゆっくり進めば概ね3時間程度はかかるので、もし参加したくないのであれば、入り口近くにいるOC委員(スーツを着ているはずだ)にその旨を伝えればテント列に入らないことも可能である。また、三鷹国際学生宿舎の入居者は別に手続きがあるため、テント列には参加できない可能性がある。

 家に帰ったら、配布された『履修の手引き』に一度は目を通すことを推奨する。

・健康診断

 合格者整理番号ごとに決められた時間に健康診断がある。数時間程度かかる。これの案内は先述の諸手続きの書類と同封されているので、確認しよう。

・学部ガイダンス

 学部ガイダンスが理科生は3月31日に、文科生は4月1日の午前に実施される。学生証・通学定期乗車券購入証明書もこの時交付される。また、履修制度に関する説明等もある。

・サークルオリエンテーション

 学部ガイダンスの日の午後に各サークルの新歓が講義棟などで実施される。この日は基本的に全てのサークル団体が新歓を行なっている。興味のあるサークルのところに行くというものである。部屋割りは、OCが2018年2月15日に公開している(https://www.a103.net/ori/2018/visitor/?p=111)。

・クラスオリエンテーション

 東大の1、2年生は教養学部前期課程生であり、語学選択(いわゆる第二外国語)に基づいてクラス分けされることになる。既習外国語としてドイツ語・フランス語・中国語を選んだ人のクラス(インタークラスと呼ばれる。各科類1組から3組)、既習外国語が英語でロシア語のクラス、韓国朝鮮語のクラス、イタリア語のクラス、スペイン語のクラス、中国語のクラス、ドイツ語のクラス、フランス語のクラスというように分かれている。クラスは文一と文二、理二と理三が一つの枠となっている。これは教養学部成立時(1949年)から1962年まで科類が4つだったことによる。

 さて、東大ではクラスでの自主活動文化がある(厳密にいうと他大学と違い生き残った)。この中での最初の活動がクラスオリエンテーションである。3月中にプレオリという集まりがあり、クラスの新入生と2年生が交流する。そして理科生は4月1日から2日まで、インタークラス・文科生は2日から3日までオリ合宿がある。

 オリ合宿は、同級生同士、あるいは上級生との親睦の場であるとともに、多くの場合、クラスの役職決定という、クラスによる学生自治活動上の重要な役割もある。クラス内の役職(コンパの幹事となるコンパ長、試験対策委員の割り振りを行うシケ長など)のみならず、対外的な役職(来年度のオリ合宿の責任者たるオリ長、学園祭の企画責任者たる五月祭・駒場祭連絡委員、自治会の「議会」の議員兼メッセンジャーである自治委員、学友会におけるそれである学友会連絡委員など)も選出される。

 そのような、学生の自主活動としてオリ合宿が存在するが、近年学部当局はオリ活動への介入的性格を強めている

・セメスターとターム

 教養学部前期課程においては、4月から7月までのSセメスター(2014年度以前の夏学期に該当)と9月末から1月までのAセメスター(同冬学期)からなる。Sセメスターにはさらに5月までのS1タームと6月からのS2タームという区切りがあり、Aセメスターには11月前半までのA1タームと11月後半からのA2タームとがある。ターム制は、2015年度から導入されたものであり、悪名高き濱田元総長による悪名高き「学部改革の総合的改革」の一環である。

・履修決定

 まず初めに警告しておくと、例年、事実上の必修である英語中級の、クラス指定型の抽選登録を(する意思がありながら)し忘れる人が出る。この抽選登録の時期は例年4月の頭(授業開始前)であるが、詳細は諸手続き時にお知らせが配布されるはずなので確認されたい。クラス指定でないものを後で履修するでも良いのだが、選択肢は残すに越したことはない。英語中級・上級以外の科目の履修登録は基本的に授業開始後である。

 履修決定にあたっては、進学選択の都合等を考えながら決めることになる。進学選択は、学部・学科にもよって細かい方式は異なるが、所定の科目の100点満点での科目の点数を元に決まる。細かいルールは諸手続きで配布された『履修の手引き』を参照すること。

 まず、2年生のSセメスターまでに単位取得しなければならない科目、そしてAセメスターまでに単位取得しなければならない科目が定められている。それを満たすように履修する必要がある。

 加えて、1セメスターに履修できる単位数には上限が設定されている。2015年度から2017年度までは、他クラス聴講と数理科学基礎補修、集中講義、国際研修、TLP科目という限られた例外を除き、30単位が上限であった。ただし、科所長会議によれば、教養学部において成績優秀者に関して制度が再検討されているという。2018年度の『履修の手引き』を確認されたい。

 社会科学、人文科学(これらは文科生のみ)以外の必修科目の単位を落とした場合、単位の回収を果たしても、点数の上限が100点でない。詳細は『履修の手引き』を参照されたい。

 一方で、社会科学、人文科学、総合科目(選択して履修するもの)については、後で所定の科目を履修し高い点数を取れば、科目で低い点数がついた科目の進学選択における重率(組み込む度合い)が小さくなる。これを「追い出し」という。

 簡単にいうと、前者は点数が低いとそのままになるが、後者はやり直しがある程度は効くということだ。

 このような事項が『履修の手引き』にかかれているので、それを見つつ履修を決定することになる。なお、1Sセメスターは大学入学初期であるから、段々に慣れるためにも履修は無理のないように慎重に決定した方が良いだろう。厄介なことに、1Sセメスターの成績が進学選択時点での成績にかなり影響を与える。

 とはいえ、特に1Sセメスターは、履修の自由度が低い…

第2弾では、入学後の生活について取り扱います。乞うご期待!

・参考資料

大辞林第3版、三省堂

学校基本調査、文科省 http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2017/12/22/1388639_2.pdf 最終確認日:2018年3月20日